我々はシャルケを生きる 2002年 – 2017年

2001年8月13日、ベルガー・フェルトにシャルケの新スタジアムが完成した。可動式の芝や開閉式屋根といった最先端技術が取り入れられたアレーナ・アウフ・シャルケは、白く輝くランドマークとしてパルクシュターディオンの横に建設された。収容人数は約60,000人で、その多くがシーズンチケットとして販売される。しかしこのシーズンチケットは発売開始から1時間ほどで完売するほどの人気を誇る。

シャルケは同シーズン、新スタジアム開門だけでなく、チャンピオンズリーグ初出場も祝った。しかしシャルケにとって初めてのCL戦は世界的な悲劇の後に行われた。この試合が行われたのは2001年9月11日で、シャルケはアレーナでパナシナイコスFCと対戦し、0-2で破れた。しかしテロの悲劇の数時間後とあっては、誰もサッカーのことなど考えてはいなかっただろう。

このシーズンもシャルケはDFBポカール決勝にて4-2でバイエル・レヴァークーゼンを下し、タイトル防衛に成功した。その後、6年にわたって監督としてシャルケの指揮を執ったフーブ・ステフェンスが本人の希望によりクラブを去った。ステフェンスほど長くシャルケで監督を務めた人物は未だ現れていない。

そして2004年、クラブ創立100周年が盛大に祝われた。5月4日は火曜日、つまり平日だったのだが、クラブ敷地内に神話が甦った。特にクラブに招待されたわけでもないのに、クラブの創立記念日を祝うために40,000人のシャルカーがアレーナを訪れた。敷地内の駐車場ではクラブ役員や選手たちが訪れたファンにビールやソーセージを振舞い、ファンと共にシャルケのチャントを声高らかに歌い上げた。

その夏、シャルケはドイツ国内の100以上のファンクラブを訪問し、ファンと共に100周年を祝った。また、ルール地方の音楽劇場と共にシャルケを題材にしたミュージカル『ヌルフィア ― 誰も神を抜くことなどできない』を上演した。そしてアレーナでも盛大な祝賀イベントを行ったが、そこでゲラルド・アサモアが美声を披露したことも、もちろん忘れてはならない。2004年のサッカー面でのハイライトは、チャンピオンズリーグ決勝のFCポルト対ASモナコ戦だろう。この試合は、2006年ワールドカップの試合会場にもなったアレーナ・アウフ・シャルケで開催された。

新世紀に入り最初の10年間、シャルケはブンデスリーガの上位に君臨し、8年連続で欧州カップ戦に参戦した。そのうち3年はチャンピオンズリーグ出場権を手にしている。2005年と2007年はブンデスリーガ2位でシーズンを終えた。更にクラブはスポンサーと新しい関係を築く。シャルケは2005年、フェルティンスにアレーナの命名件を売却し、2007年にはエネルギー業界の大企業であるロシアのガスプロムをメインスポンサーとして迎え入れた。

スポーツの面では、シャルケは引き続きリーグの上位に位置した。監督とスポーツディレクターを兼任したフェリックス・マガトの下で、クラブは2010年に再びリーグ2位という成績を残した。マガトは移籍交渉でも手腕を発揮し、スペイン出身の世界的なスターであるラウールの獲得に成功した。しかしその他多くの同氏の移籍策には賛否両論あったことと独特の指導方法を理由に、マガトは2011年3月にシャルケを去ることとなった。同氏の後任としてスポーツディレクターにはホルスト・ヘルトが、そして監督にはラルフ・ラングニックが就任した。監督ラングニックの下、シャルケは“サン・シーロの奇跡”を経験する。チャンピオンズリーグ準々決勝でインテル・ミラノと対戦したシャルケは、アウェイで5-2の勝利を収め、クラブ史上初となるCL準決勝進出を果たした。その後マンチェスター・ユナイテッドに破れてCLは敗退したものの、5月21日に行われたDFBポカール決勝でMSVデュイスブルクを下し、1937年以来通算5回目となるDFBポカール優勝を成し遂げた。

2012年の会員総会にて、集まった会員は反対票わずか1票で、それまでのクラブ理念に別れを告げた。クラブの基本となる価値を表し、全てのシャルカーを結びつける新しい理念を発表したのは、新たにマーケティング責任者に就任したアレクサンダー・ヨブストだ。これ以降、クラブの理念として「FCシャルケ04 ― 我々はシャルケを生きる」が掲げられることになる。

2014年3月12日、クラブの会員数は125,000人を突破した。シャルケは今日に至るまでドイツで3番目に会員数の多いクラブであり、ヨーロッパではトップ5、世界ではトップ10に入っている。

同様に世界レベルの評判を誇るのは、2011年からクナッペンシュミーデを名乗っているシャルケのユース育成部門だ。U19監督のノルベルト・エルガートの指導を受けた数多くの選手がプロチーム昇格を果たしている。クナッペンシュミーデ出身のリロイ・ザネは、イングランドへの移籍でシャルカーとして最高額の移籍金を記録した。

2012-13シーズン以降のシャルケは、浮き沈みの激しい時期を経験する。この5年間でシャルケは5人の監督を迎え入れた。現在のシャルケは未来のために投資を行っているところだ。古いパルクシュターディオンがあるところにユース選手のレギオナルリーガ戦ための試合会場を建設し、数多くの新しいトレーニング場を建設するために、ベルガー・フェルトの施設の改修・改築を予定している。